母校創立60周年記念事業実施にあたり、「同窓会の維持・発展に多大な貢献をされた方」を表彰する「同窓会功労賞」を創設しました。受賞者は以下のとおりです(敬称略)。(プロフィールは受賞当時)
岡村 昌夫 昭和38年から昭和59年まで母校国語教諭、高校4回生同窓会顧問及び事務局担当として、昭和53年頃よりの同窓会活動低迷期によく本会を支え、同窓会の存続と活動活性化のため尽力された。
山本 收太朗 昭和51年から昭和62年まで母校保健体育教諭、高校24回生同窓会顧問及び事務局担当として、岡村先生の後を継ぎ活動低迷期に新聞発行、同窓会名簿の作成を行い、同窓会活動活性化のため尽力された。
大木 紀史 高校13回生同窓会会長(昭和49年から昭和58年まで)ならびに会長代行(昭和59年)として同窓会活動が衰退した苦難の時期に、岡村、山本先生と連携をとりつつ、会の存続と活性化に尽力し、創立45周年記念事業以降の同窓会再建、発展への支えとなった。
尾本 四郎 昭和58年から平成5年まで母校事務長母校事務長として創立45周年並びに50周年事業にたずさわり、母校と同窓会との橋渡し役として活躍されると共に、同窓会顧問として会の組織づくり、専任事務局構築等に多大な貢献をされた。
山谷(小野)ゆり子 高校28回生同窓会の運営の苦しい時期(昭和58年~62年)に事務局を担当し難局を乗り切り、今日の同窓会の存続を可能にする貢献をされた。
中西 進 中学2回生昭和60年から62年まで同窓会会長を務められた。在任中、武蔵丘創立45周年にあたり、その記念事業(昭和60年11月2日)を成功裡に学校側と協力、主催した。それを機に、それまでの同窓会活動を一新、大いなるリーダーシップを発揮された。
目賀田 嘉夫 元学校長昭和57年から62年まで校長を務められ、武蔵丘創立45周年記念事業を校舎増改築完成記念と合わせ、同窓会と協調し、協賛金の募集・記念事業・記念誌発行等々成功への導きで現在の同窓会活動、活性化の道を拓かれた。
吉田 暁 高校3回生昭和62年から平成2年まで、同窓会会長を務められた。在任中、武蔵丘創立50周年にあたり、その記念事業を成功裡に主催された。さらに会長在任の前後に亘り、会計監事等の役員を務められた。
河田 俊之 中学1回生平成3年から13年まで、同窓会会長を務められた。在任中、武蔵丘創立60周年にあたり、その記念事業を成功裡に主催された。また同窓会財政基盤充実に向けて年会費納入方式の導入、同窓会総会・懇親会・講演会の盛会発展にリーダーシップを発揮された。
安部 幸明 元母校音楽講師作曲家。東京音楽学校(現東京芸大)本科卒。1935年より書き続けた弦楽四重奏曲は15曲にのぼる。武蔵丘高等学校の旧校歌、現校歌の作曲者である。どちらの校歌も同窓生に親しく歌い継がれ、同窓会の求心力となっている。
佐野 常道 高校3回生平成7年までの8年間、常任幹事として、武蔵丘創立45周年・50周年の記念事業に関わると共に厳冬期にあった同窓会を組織再編、財政基盤の形成に尽力された。平成13年から4年間は会長を務められ、同窓会の発展興隆に寄与された。
太原 一郎 高校4回生平成12年の武蔵丘創立60周年記念事業に際し、学校に積極的に働きかけ、企画・案出を行い、学校と同窓会のパイプ役を果たされた。それを契機に同窓会自体の中興を図る幹部の一員として、同窓会の活性化に貢献される。また10年間、副会長として同窓会をサポートされた。
藤本 義男 中学1回生毎回の幹事会で、同窓会の発展を願う建設的な発言をされ、今日の同窓会の礎を築かれる。母校のシンボルであるクヌギ林維持の提言を継続して続けられ、70周年記念事業の柱の一つである「クヌギ林の整備」は、母校愛に対する熱意の成果である。
板木 克憲 高校26回生 2011年から副幹事長として「銀杏」作成の中心となり活躍されるとともに同窓会のホームページ、母校のホームページの整備・充実に努めた。病と闘いながら同窓会のために誠心誠意活動されていたが2014年1月17日還らぬ人となった。特例ではあるが幹事会で審議し同窓会功労賞に値すると決定し、総会において奥様の板木浩美様に贈呈が行われた。